健康・快適・エコロジー ソーラーよりも、原子力よりも、高性能な薪ストーブを
キンベル美術館
古典への敬意は建物全体をぬくもりのあるものにしているが、明確な対比は近代建築への賛歌も決して忘れていない。基本単位は非常に強烈な造形だが、整然と並べ、全体として神秘的なまでに格調の高いものにしている。自然光を利用した絶妙な採光も、最高の演出をいたるところで当たり前のようにやってしまう。
リチャード医学研究棟 煉瓦の塊のようなサービススペースと、対照的なコンクリートと煉瓦とガラスからなる開放的なサーバントスペース、煉瓦は腰高に統一され、残りはガラス。意匠的にもすっきりしている。繊細な片持ち梁を先端ではさらに絞り込み、最小限のボリュームにとどめ、この辺はモダニズム的。梁の絞込みはコーナー部分の開放感をもたらし空間にリズムを作っている。身近な素材を素直に使い分けることによって、不思議なくらい安定感のある建物になっている。機能的に明確に分けられたボリューム群はその隙間から採光することによって内部においてお互いの位置関係を容易に把握でき、これも安心感をもたらすことにもつながっている。
エードマンホール 近代建築を特異にしたのは、それ以前の建築ののろわれたように重苦しい石や煉瓦の壁であり、その隙間のような窓であった。近代建築の巨匠はトラウマのようにそれを否定し、自由を強調してきた。カーンの建築はそうした古典的な素材やコンクリートなど、すべての素材に対し、冷静に敬意を持って向き合っているように感じる。必要以上の開口部もないし、重たいコンクリートを宙に浮かせるような表現もしない。そんな近代魔術を使わなくとも十分な存在感を漂わせるのがカーンの哲学なのだろう。
フォートワース美術館 全体はコンクリートの壁で囲われた展示スペースをガラスの回廊で囲ったような構成。外構を覆う水面が床面までせまる。ところどころで回廊を覗きながら美術品を楽しみ、美術館を廻ったあと明るい回廊に出てゆく。水面の揺らめく反射光も意識されているかもしれない。しかしそれを楽しむには回廊が明るすぎる?庇が高すぎる気もする。Y字の造形は正直わからない。
アーミッシュに思う 偶像を禁じたアーミッシュの生活空間を見て、とても落ち着いた空間だと思った。禁止と言われると抵抗はあるが、イミテーションばかりで構成される現在の住宅は無意味というより有害であると思う。住宅に身近で本物の素材を素直に使うことによって、私たちは日常のあらゆる行為で感性と直感を養うことができるだろうし、退屈と思う多くの時間をもっと有意義に過ごすことができるようになるのではないか。郷土愛とはそんな中で育つものだと思う。コストをかけないものをかけたように見せかけ、いいかげんに作ったものを覆い隠すような環境で正しい価値観を身に着けるのは難しいのではないか。
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